ときめいちゃったんだトゥナイト

日常の尊大なる冒険

みんなツイッターで壊れていく

私は、いわゆるアラサーと呼ばれる世代である。

ツイッターに代表されるSNSでは多様な人と知り合えるとはいえ、知り合いの知り合いみたいな広がり方が多く、またその知り合いも、共通の趣味などを介して知り合うことが多い。

そうなると、SNSでも、同世代の人と付き合うことがおのずから多くなる。

 

そういうわけで、私はいわゆるアラサー世代の発信を見る機会が多いのだが、

眺めているとなんだか、みんなが「壊れていく」過程を見せられているような気がして、なんだか妙な気持ちになる。

その分水嶺は、だいたい30歳にあるように思える。

 

さて、「壊れていく」とはなにか。

このように書いたからには、私なりのこの言葉の定義を述べる必要があるだろう。

私が思う「壊れていく」にある人は、主に下に示す二つの特徴を持つ

  • ミソジニーに染まったことを言う(こちらは男性に顕著だ)
  • 怪しい言説に基づき政治にまつわることを言う

 

ミソジニーとは、「女性蔑視」のことだ。

これはあからさまに「女はクソ」という場合もそうだが、そのほか、女性を「モノ化」して考える場合も該当する。

例えば、「恋愛工学」で称揚されるナンパも、女性を「経験人数」という数字に矮小化している点で、女性蔑視にあたる。

そこにあるのは、戦争で死者が数字になるような、人間の疎外である。

 

政治や社会に関心を持ち、それを発信するようになる人もいる。

それ自体は特に悪いことではないし、また個々人に思想や信仰の自由がある*1

だから、どのようなことを言おうと、それ自体に文句をつける気はない。

問題は、その論拠とするものが誤っていることが多いことだ。

というより、フェイクニュースを撒き散らすサイトが論拠とされていることがままある。

時には、「ゲーム速報」や滝沢ガレソのような、おおよそニュースのソースとは思い難いものを論拠としリツイートする人も見かける。

しかもそのようなサイトは、過激な言説を煽るので、より本人の主張が先鋭化し、攻撃的になっていく。

 

これらは、どうして起こるのだろうか?

どうして、30歳を境に起きてくるのだろうか?

 

クォーターライフクライシスという言葉がある。

人生を100年と考えたとき、その1/4に差し掛かる20代後半から30代半ばの頃に人生や自身の在り方、生き方などについて悩む現象のこと

カオナビ人事用語集 より)

私の書いた「特徴」は、すなわち「壊れていく」という現象は、

結局のところ、これを「原因」にしていることが多いのではないか、と考える。

しかし、これだけでは、横文字を使って、なにか言った気になっている、という批判を免れないだろう。

なのでこれ以降では、これを少し噛み砕いていこうと思う。

なお、この議論は、あくまで印象論や推論の域を出ないことはあらかじめご容赦願いたい。

それでも、内容に誤りなどがあれば、責任は私(筆者)に帰する。

 

25〜30歳あたりにもなると、己の人生の行末がなんとなく見えてきてしまう。

自分がこのまま、今いる会社に居続けた場合に、給料はこのぐらいになるだろう、という金の話にまずは行き着く。

それは、将来どこに住めるか、とか、どんな生活を送れるか、という話に直結する。

その意味で、自分の人生がどうなっていくのか、予想が立ってしまう。

ほんの少し前。学生だった頃には思いもよらなかった解像度で。

 

そうすると、人生を変えるビッグイベントを起こそうとする。

その一つが転職である。

そしてもう一つのメジャーな選択肢が、結婚および(妻の)出産である。

 

学生時代から付き合っている人がいれば、その人と結婚することになるだろう。

しかし、そうでない場合、この「クライシス」状態から結婚相手を探すことになる。

つまり、婚活を始めるわけだ。

 

婚活やマッチングアプリは、当然ながらマーケティング的なゲームの世界だ。

いかに他者と自身を差異化し、交際の先にある未来が明るいものであるとセルフプロデュースする術が必要となってくる。

このゲームで消耗した先に、くだんの「女性蔑視」ないし「女嫌い」が待ち受ける。

 

これは、選ばれない自己でなく、選ぶ相手にこそ問題があることから始まる。

あいつらが高望みをしているからだ。

そのようになっていくと、次第に、女性自身において思考の介在する余地を否定するようになる。

その果てに、この「思考への不満」は普遍化されていく。

これは明らかに「モノ化」の過程ではないか、と思われる。

 

マッチングアプリにおいて、ゲームに参加するのは女性も同様である。

実際に、マッチングアプリで成果が出ないことを話題にするSNSアカウントには、女性であることを開示しているものもいる。

しかし、彼女らにおいて、ミサンドリー(男性蔑視)が顕著であるという特徴は見られないように思う。

ここには二つの理由があるのではないか、と考える。

 

一つは、マッチングアプリが構造上、女性が男性を篩にかけることを前提としているからだ。

これはアプリのシステム面、つまりゲーム環境の点からそのようにデザインされている。

このため、アプリにおけるゲームで受ける心象が男女で異なることは十二分に考えられる。

もう一つは、女性の方が男性よりも恋愛話を同性間でする頻度が明らかに高いからだ。

これにより女性の方は、「ガス抜き」のようなことができるのではないだろうか。

反対に男性の方は、一人で悩みを抱え、「壊れていく」ことになるのではないか、と想定される。

 

なお、(妻の)出産がビッグイベントであると上述したが、これにもまず結婚していることが前提となる*2

そのためここでは詳細は避けるが、なぜこれが「ビッグイベント」たり得るのかも少しだけ記述しておこう。

それは、子供というのは「予想がつかない」からだ。

子供が何をするか分からないというのもそうだが、将来がどうなるかも、そもそもどのような子が生まれてくるかも、多くのことが分からない。

そのような子供を持つということは、人生に「不確実性」を与えてくれる。

人生の先が見えるような気がすることへの不満を解消するには、「もってこい」である。

 

さて、もう一つ、政治的な発言の方を取り上げよう。

どうして「政治にまつわることを言う」ようになるのか。

これは端的に、そのようなイシューに関心を持つようになるからである。

というより、年齢が上がってくると、関心を持たざるを得ないのだ。

 

なぜなら、自身が「わかりやすく」納税者になるからである。

学生時代も消費税を納めていただろうし、稼ぎが多いなどの理由で扶養に入っていない人もいただろう。

しかし、やはり納税ないし社会保険料を支払うことを強く意識するようになるのは、給与をもらい、給与明細を見ることになる会社員になってからの方が多い。

そして、こう思うのだ。

「あれ? マジで? こんなに引かれるの?」

 

また、私たちは、「日本は衰退する国家である」という言葉をたびたび目にしてきた。

人口(特に生産年齢人口)の減少、生産性の低下、国際社会でのプレゼンスの低下。

私たちはそのような国で、どうにかサバイブしなければならない状況にある。

その覚悟が決まってくるのが、およそアラサーぐらいの年齢なのだろう。

そのような「絶望」もまた、政治のマクロ的政策への関心を高めうる。

 

しかし問題はここから先で、いざそのようにして政治に関心を持っても、肝心の「政治」についてどう知れば良いのか分からない。

ひとまずネットなどで検索する。

すると、フェイクニュースを載せるサイトや、YouTubeのソースの怪しいゆっくり解説動画などがヒットする。

そうして、人びとは、怪しい言説(陰謀論など)に取り込まれていく。

またそのようなサイトは、より過激な発想を煽る。

かくして、人々は先鋭化への一歩を踏み出す。

あとは、SNSのエコーチェンバー効果により、その道はきれいに舗装されている。

「エコーチェンバー」とは、ソーシャルメディアを利用する際、自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってくるという状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象にたとえたものである

総務省ホームページ より)

 

人が「壊れていく」、言い方を換えれば「狂っていく」。

そんな過程を見せられるのは、あまり気分の良いものではない。

だが、そこには、さまざまな構造的な問題が横たわっている。

だから、その人だけを批判するわけにはいかない。

それでも、その「現象」は私をひどく落ち込ませる。

 

自分も、いつかこうなってしまうのだろうか。

あるいは、他者のことがそう見えているだけで、実は狂っているのは自分の方なのではないか。

そのような疑念も、私を苛む。

 

私は楽しくインターネットをしたいだけなのに。

楽しくインターネットをしたいだけなのに。

 

*1:私はここで、政治的アパシーや「中立」を称揚したいわけではない。

*2:日本では、婚外子はとても少ない