情報の不均衡が申し訳ない: とある女性Fのケース
これはちょっと昔の話だ。
もう辞めてしまった会社の話ということにしておこう。
厳密には会社での話ではないのだが、会社の話としておいたほうが、なんというか「没個性的」で、プライバシーの観点で良い。
珍しい名前よりも、ありふれた名前の方が、Google検索によって過去の所業を暴かれる可能性が下がるといった意味合いの話だ。
ちなみに私は、本名で検索すると、寝癖のある状態でインタビューを受けた画像が出てくる。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが。
兎角、これはもう辞めてしまった会社の話だ。
そしてその会社には、私より先に辞めた女性Fさんがいた。
「F」はその人のイニシャルなどを当然表さない。女性Female のFだ。
私は、彼女との間で、情報の不均衡を発生させてしまっていた。
そのことを非常に気まずく感じ、よってその不均衡を解消すべく話しかけるのもまた烏滸がましく感じ、そのせいでより不審者めいたムーブになったのだった。
これは、コミュニケーションに不得意さを感じている男性が、一人の女性の個人情報をどのように入手し、そして勝手に不審者と化していったかの記録である。
私は、彼女すなわちFさんのことを、あまり詳しく知らなかった。
なんなら、同じ背格好の女性Gさん——当然、Fの次だからGだ——としばらく混同していたぐらいだ。
私は、人の顔を覚えるのがもともとすこぶる苦手なのだ。
それでも私は、彼女が、同僚の女性オタクとかなり強火のオタクトークをしているのは耳にしていて、それで彼女のことを認識していた。
女性社員Fは、かなりの強火オタク。
こうして私の中で彼女はラベリングされ、記憶されていた。
あるとき、社内の研修のグループワークで、Fさんと同じグループになった。
そのテーマは、キャリアの棚卸しみたいなこと。
まあ、社内研修ではありがちなテーマだ。
そこで最初に、自分の経歴について話すという箇所があった。
それは特に、学歴などによらず、自分がこれまでどんなことをしてきたか、学んできたかみたいなことを、ざっくり話すというワークだった。
彼女はそこで、自分の出身学部を言った。
その学部は、珍しい名前の学部だった。
経済学部とか、法学部とか、理工学部とか、そういうありきたりなものでは全然なかった。
だから、ちょと学歴厨なところもある私は、彼女の出身大学が、大学名に言及されずとも分かってしまった。
これは私の悪いクセなのだが、何かが推理で分かった場合に、それがクイズだったわけでもないのに、そのことを口にしたくなってしまう。
そして私は彼女に「あの地域にある大学ですか?」と、大学名でなく地名で訊ねた。
大学名でなく地名で訊ねたのは個人情報に配慮したつもりになっていたのだが、これはこれでキモいな、と改めて思った。
まあそれはとにかく、その問いに対して女性Fは「そうです」と答えた。
私の推理は当たっていたわけだ。
そうなると、私の悪癖はさらに加速する。
その地域にある大学、すなわちあの大学、そして学部——ということで私は、
「〇〇の母校ですよね?」と訊ねたのだ。
彼女は「はい、そうです」と言った。
改めて考えて、学部名だけ言われて、出身者を当てるのキモすぎる。
さて、そうなると私は、自分のものも訊ねられると思っていた。
自慢したいわけじゃなかったし、特に自慢できるような学歴でもない。
ただ、なんとなく話の流れとして、「あなたは?」が返ってくると思っていた。
いつも私はそれを予期せず人に質問をし、後悔するのだ。
「この休みどう過ごされました?」と訊ねると、決まって「あなたは?」と返ってくる。
その切り返しに、いつもうまく応答できない自分がいた。
だから、そのような「跳ね返り」があるものと今回は予期し、身構えていた。
しかし彼女は、それを訊ねてこなかった。
こういうと彼女に責任転嫁をする言い訳めいて聞こえてしまうだろうが、このケースで、男である私が——そう、男! なので、推理するのはキモさが伴う——訊かれてもいないのに自分から自身の学歴を言うのは気が引ける。
と言うのも、男から学歴を言うのは、偏差値はともかく、どことなくマウントの感が出てしまうからだ。
それはダセェな、と思って、言うのをやめてしまった。
これが一つ目の不均衡性だ。
私は、女性Fの学歴を知っていて、私のそれを女性Fは知らない。
そのことは、彼女が辞めるまでなんとなく引け目みたいなのになっていた。
また、いきなり学歴クイズを始めたことも、後々になって、キモいなという自責的な感情がじわじわと湧いてきていた。
だが、学歴クイズはいわば「確認作業」であり、それがなくとも私は彼女の学歴を、Confidence 0.8(0 < Confidence < 1)ぐらいで知っていたことには変わりがなかったと思う。
そして、その不均衡性に、私はやはり悩んでいたのだろうと思う。
これを生じなくさせるには、あのとき自分の方も少なくともヒントを出すべきだったのだ。
例えば「同じ文系ですね。私は法学部でした」とか、「私、文学部なんでそういうの疎いんですよ」とか。
あるいは、「学歴クイズ」のあと、恥を忍んでもっと直截的に自分の学歴も開示してしまうか。
時間が経てば経つほどに、「あのとき、〇〇大出身って言ってましたけど、自分、××大なんですよね」はキモさが増す。
どっちにしろ、学歴の話がぽんぽん出てくるなんて、キモさしかないのだから、それを受け止めるべきだったのだ。
だが私は、私が感じている不均衡性を解消できないまま終わってしまった。
また、あるとき、私は女性Fが別の人と話しているのを目撃した。
それだけならば、別に別になんということはない。
業務中に喋るななんていうわけじゃない。
どこにでもある普通の光景だ。
問題はそのとき、彼女が自分の最寄り駅を口にしていたことだ。
そしてそれは、私のそれと同じであった。
これが二つ目の不均衡性だ。
私は女性Fの最寄り駅を知っている。
そして偶然、彼女の最寄り駅と同じエリアに住んでいる。
しかし彼女は、私の最寄り駅を知らない。
住んでいるエリアの情報は、学歴よりも、もっとプライベートな情報だ。
学歴ならSNSのプロフィールに書く人もいるが、住んでいる地域までは書かない人が多い。
それは、それを開示すべきでない情報と捉えているからだ。
だが、図らずも私はそれを知ってしまった。
女性Fは同じフロアで働いていて、階層研修でたまたま一緒になったが、それだけの「よく見かける同僚」でしかない。
だから私も、同じ部署の人とかには雑談の中で最寄り駅を明かすことはあっても、彼女がそれを知っているはずはなかった。
しかしここで、その会話に「私も最寄り駅そこなんです!」と会話にいきなり入ることが悪手であることは私にも判断できた。
だから、「なんか、知っちゃったなあ」という思いだけを抱えてその場を去った。
「知っちゃった」というのは嬉しさではない。むしろ気まずさだ。
なんか、「知らない方が良かった」という感情の方が近しい気がする。
例えばプライベートで、私と女性Fが、最寄り駅の施設で会ったとしよう。
向こうは当然驚くだろう——気づかない可能性もある。そうなれば最高だ——。
しかし私の方は、彼女のようにはうまく驚ける自信がないのだ。
「まあ、いるよね」みたいな反応をとってしまいそうなのだ。
それを想像すると私は、私がキモくてキモくてたまらなく感じる。
立ち去った私は、しかし改めて気づいた。
後から「最寄り駅、同じなんですよね!」と声をかけるのもキモいということに。
というか、最寄り駅を知られている前提で異性に話しかけられるのは怖すぎる。キモすぎる。
だから、私が自分の最寄り駅を知らせる=不均衡性を解消する術はおそらく残されていなかった。
この二つの不均衡性を抱えて、以降、私は女性Fと接することになった。
私だけ彼女のことを多く知っている。
しかし、そのこと自体を彼女はあまり意識していないだろう。
だから、この不均衡性を隠して会話しないといけない。
かくして私は、女性Fのことを強く意識するようになった。
それは恋でもなんでもない。
ただの後ろめたさだ。
困っていることを知っていながら、早めに帰った、みたいな居心地の悪さ。
しかし、そのソワソワ感や、あわよくば——やり方は分からないが——不均衡性を解消したい、という思いは周囲にもバレるのだろう。
女性Fと同僚で、私とそれなりに交流のある社員からある日、「なんかキモい」と言われてしまった。
思えばあのときの私は、キモかった。
彼女は会社を辞め、私もその会社を辞めた。
だから、もう会うことはないと思う。
もし会うことになっても、最寄り駅以外の場所で出会いたい。
そうすれば、もう少し自然な反応ができると思うから。
自意識モンスターは歳を重ねても変わらないのだと、私は絶望した。