ときめいちゃったんだトゥナイト

日常の尊大なる冒険

好きでこんなことになってるんじゃない

俺だってこんなふうになったんじゃない。

俺だって、好き好んでこんなことをしているんじゃない。

そう言いたくなる瞬間は人生に溢れている。

 

いまの季節なら、炎天下を汗だくになりながら歩いているときとか。

初めて入った店で頼んだ料理が口に合わなかったときとか。

満員電車に乗っているときとか。

 

その一つの例が、おならがめっちゃ出るとき。

私はそんなとき「俺だって好き好んでこんなさ——」という気分になる。

 

 

おならのなにが悪いか。

まず、あまりにも体裁が悪い。

人前でこくわけにはいかない。

ただこれは、幸か不幸か一人暮らしなので、こける時間は多い。

家でこいても、誰にも文句は言われない。

 

次に悪いのは、臭いってことだ。

おならは臭い。

もう「お」「な」「ら」という言葉からただよう臭気がすごい。

しかしこれを「屁」と言い換えても、臭気はマシにならない。

排泄物になり損なったものの怨念みたいな臭いがする。

 

そしてもっと悪いのは、時に「実」を連れてくるってことだ。

おならは肛門から出たがっているようなのだが、なんだかそれだけじゃないような気配を感じるときがある。

そんなときは、いくらこき放題の状況でも、細心の注意を払う。

同時に「実」が、すなわち便が、ウンコが出るかもしれないからだ。

大人になって、ウンコを漏らすわけにはいかない。

 

 

俺だって、好き好んで、こんなぷーぷー鳴る楽器みたいになっているわけじゃない。

ただ、どうにもガスが出てくるから。

うぉん、俺は間欠泉だ——。

 

さて、これはなにも腸内環境が終わっているだけでなく——まあ終わってはいそうだが——、空気嚥下症という私の持病に由来する。

ストレスなどが原因で、唾液などと一緒に空気を多く飲み込んでしまう症状のことだ。

これにより胃腸にガスが溜まりやすくなる。

それは主に、腹部の膨張感や、ガスの頻度の放出をもたらす。

放屁と共に、げっぷも私を悩ませる現象である。

 

ストレスなどと書いたが、同情を買いたいわけじゃない。

言いたいことは、私が屁をこくとき、

「好きでこんなことになってるんじゃない」と思っているってことだ。

 

みなさんにも、そう思うことはあるんじゃないだろうか。

私は「好きでこんなことになってるんじゃない」。

ああ、人生はなぜこうもままらないのか!

 

ま、それでも続いていくのが人生なんですけどねー。